2010年12月1日水曜日

ヤハウェの深き愛

駒ケ岳にて
4年前の200611月29-30日は、フランシスコに取りましてはヤハウェとの深い愛の絆を結ぶ大切な日となりました。

2006年当時のフランシスコは、出羽三山に眠る即身仏たちが辿った苦行の心情世界を数カ月に渡り追体験させて頂きながら、生きながら即身成仏して行くアセンションの道を開いて行く、体力的にも辛い日々を過ごしておりました。そしてその仕上げのためにセントラルスポットの磁場に触れながら1週間ほど静養と祈りの日々を過ごすため、1126日から山梨県に出かけたのですが、27日朝から身体が不調で動かなくなり、宿泊先から救急車で近くの病院に搬送されてしまったのです。

病院で応急処置をして頂くことで何とか身体も動けるようになり、体調の回復を見計らって28日には千葉の自宅に戻り、29日朝一番に大学病院で検査を行った結果、専門病院を紹介して頂くこととなり、その足で病院まで移動したのです。ところが検査結果を見るなり医師は仰天し、「よくもこんな状態で来られましたね。すぐに入院して緊急治療を始めないと危ない。」とのことでその日の午後の入院となりました。

治療室のベッドに横たわるフランシスコに向かって医師いわく、「このまま天寿を全うしますか。それとも血液透析で延命しますか? 」と真剣な顔で質問するのです。「え~え~、そんなに悪いの~、急に血液透析と言われても~、痛いのでしょう~」と、一瞬目を閉じていましたが、直ぐに「先生にお任せします。」と応え、その夜から連日の透析治療が始まったのです。

入院したその晩は一睡も出来ず、自分が遭遇している厳しい現実を目の当たりにしながら、「もしかしてこのまま霊界に行くのか? 」もしそうであるなら「このまま愛する者たちと別れるのは死ぬことよりも辛い」と、ベッドの中で泣き崩れたのです。

妻と千葉の養老渓谷にて
その時でした!!   あ~この辛くて切ないこの想いは、人類が親なるヤハウェの懐から離れて行った時のヤハウェご自身の心情そのものであり、ヤハウェにとって人類との別れは、死ぬことよりも辛い立場であったことに気付いたのです。フランシスコはヤハウェの心情にスパークし朝までベッドで泣き崩れていました。その時のメッセージが、2006年12月1日に綴った愛の警鐘のメッセージでした。

人類を愛するヤハウェの愛は、自らの命を超えるほどに強く深い親の愛なのであり、これまでの長き地球の歴史において、人類が神の子として甦生することをどれほど待ち焦がれて来られたヤハウェご自身であったかを理解することで、親なるヤハウェの切なる願いに応えて行く私たち神の子でありたいと思うのです。

フランシスコは、極限状況の中で初めてヤハウェの深い愛に触れるチャンスに恵まれることで死線の壁を越えさせて頂いたのであり、今も透析治療により生かされる身ではありますが、生きながら神の子としてアセンション(即身成仏)して行く原点回帰への道が開かれたヤハウェの導きに、今改めて感謝して参りたく思います。


感謝合掌